私は、祖父母、母、叔父、皆常磐津を業とする家に生まれました。本格的に稽古をつけられたのは、十六歳ぐらいからでした。
太平洋戦争中、芝居出演の太夫が手不足となり、「和夫を太夫にしろ」と、祖父から母へ言ってきました。
当時私は変声期であり、太夫になる自信はなく、直接祖父に断りに行きました。
しばらく考えて居ました祖父は、誠に巧妙な手を打ってきました。
話は私の小学校低学年時代に戻ります。
祖父を歌舞伎座の楽屋に訪れた後、勧進帳を見ようと客席へ廻りました。
幕が揚がると、スーッと富樫が出て来ます。名優十五世市村羽左衛門丈!!。
その姿の美しいと言おうか神々しいと言おうか、子供心に私は、頬の毛が総立ち、更に「かように候者は、加賀の国の住人……」という朗々たる名乗りを聞いた時、私は完全に体の震えが止まらなくなってしまいました。
後にも先にも、こんな体験は有りません。
これが異性でしたら、まさに一目惚れという事でしょうか?。
以来その感激を、私が夢中になって人に話すのを、祖父は知って居たのでしょう。
「和夫、お前な、太夫になれば、廿五日間、毎日毎日一番近いところで、十五代目が見られるんだぞ」と言われまして、「そんなら太夫になります」と、いとも簡単に落城してしまいました。
私が常磐津の魅力に目覚めたのは、廿二歳頃からでしょうか。
祖父、三世松尾太夫の、大きな芸格に憧れを抱くようになり、更に仕合わせでしたのは、立派な芸格を持たれた、何人かの諸先輩に巡り合えたことでした。
これがどんなにか芸の励みになった事かわかりません。
心から、故・諸先輩各師に、お礼を申し上げたいと存じております。 |