初世文字太夫の後継者には兼太夫(1756-1799)が定められ、兼太夫は天明7年(1787)に二世文字太夫を継ぎ、常磐津本流を盛り立てました。
二世文字太夫の三味線方としては、2世岸澤式佐・鳥羽屋里長(とばやりちょう)らがいます。2世文字太夫時代の代表的な現行曲は、《関の扉》《戻駕》《双面》などです。
いずれもスケールが大きく、歌舞伎舞踊に欠かせない名曲として知られています。

寛政11年(1799)、二世兼太夫(二世文字太夫の実弟、1755-1802)が分派して吾妻国太夫を名乗りますが、2世文字太夫の実子林之助(1792-1819)が家元後継者と定められ、同年に小文字太夫を、文政2年(1819)に三世文字太夫を継ぎますが、早世しました。
若い3世文字太夫をよく補佐し流儀を支えた3世兼太夫(1761-1814)は、その老巧の芸が尊ばれ、常磐津の語り口を当世風に改めた人物とも伝えられています。

<変化舞踊の名曲>
文化文政期(1804-30)以降の歌舞伎では、短編の舞踊を組み合わせて上演する変化(へんげ)舞踊が流行しました。
変化舞踊の一コマとして生まれた現行曲には、《源太》《景清》《角兵衛》《夕月船頭》など多くの作品があります。
長唄・富本など他流との掛合演奏も頻繁に行われるようになりました。
時代ものの一場面の風刺や市井の身近な題材や風俗を扱うことによって、歌舞伎舞踊のレパートリーは拡充され、現在の日本舞踊曲の基盤が形成されました。